どうも。つじけ(tsujikenzo)です。このシリーズでは「ノンプログラマーのデータ分析リテラシー」と題しまして全4回程度でお送りしています。今日は2日目でございます。
前回のおさらい
前回はノンプロ研数学部がデータアナリティクス部に改変したきっかけと、最初のイベント輪読会#01についてお話しました。
今回は「私たちノンプログラマーと統計学の接点」ついてお送りします。
ノンプログラマーのデータ分析リテラシー
統計学の歴史
もともと統計学には国の状態を調べる「国勢調査」として目的があり、国を納める手法としての必要性がありました。その後「大量の事象を捉える為の統計」や、「確率的事象を捉える為の統計」へと発展しますが、いつも「必要性とともに研究・使用されてきた」歴史があります。
※引用 和から株式会社
現代の私たちの暮らしの中にも「8月は平均気温が高いからビールが売れるだろ」とか「平均がさほどバラついていない参加者の中で私の偏差値は70だったわ」のように、身近な存在として平均や統計は使われていますね。これまで一部の数学者の武器であった統計学は、今や我々一般市民の生活にも深く根付いていますし、いつも必要性とともに使われてきた道具と言えるのではないでしょうか。
働くノンプログラマーの統計学
そんな身近な存在である統計学ですが、私たちのような働くノンプログラマーにとって、どのような存在なのでしょうか。私もノンプログラマーである以前に普通に働く人間の1人です。意識しないところで「この仕事は新人のAさんにお願いするよりベテランのBさんにお願いした方が効率がいいな」とか、「このまま金利は低い状況が続くと思うので、事業を継続しよう」のように、直感的に判断していることがほどんどです。
直感は悪いことではなく人間の特技です。人間は判断の連続で生きています。そして判断が間違いないという実績が脳に溜まると、人間は判断を意識しないようになります。地図と同じですね。普段から家の近所の地図を持ち歩く人はいないと思います💦
判断は変化を促す
会社まで10駅の通勤中、「毎駅ごとに下りるかどうか」の判断をしている人はいません。無意識です。今日も平和です。
しかしマンネリが続き、ちょっと変わったことをしたいなと思った時、人は会社の1つ手前の駅で下りて、「会社までウォーキング」を導入したりします。つまり9駅目で初めて「下りるかどうかの判断」をしたのです。マンネリを打破する為に彼には新しい判断が必要だったのでしょう。逆に言うと新しい判断は変化を促すことになり、判断が正しければ正しいほど、変化に強くなっていくということです。
「変化には価値があること」は先日のノンプロ研LT『隠れ隠れキリシタンを続けるな』でお伝えしました。
判断する為の道具
さて、変化すなわち新しい判断が必要になったので、今度は道具を選択しなければなりません。今手元にはどんな道具があるでしょうか。まずは「直感」です。人間誰しも経験が備わっています。しかしそこは現代人、直感に加えて手元にはスマホがあります。「検索」です。多くの現代人が「検索」により様々な情報を得ることができるようになりました。とても便利で革新的です。
しかしすぐこの問題が取り沙汰されました「情報過多」です。情報が多すぎるのです。昨今は「情報収集力 < 情報選別力、編集力、デジタルデトックス」など言われているように、気付いたら何時間もSNSを開いていたという経験があるのではないでしょうか。
無意識選択の社会
そんな「情報選択にリテラシーが必要な社会」を作りあげた大手IT企業(俗に言うGAFA)ですが、その問題解決の方法を世に送り出したのも大手IT企業でした。「リコメンデーション(おすすめ)」です。私たちは「オススメ」をクリックするだけでいいです。どの情報が自分に必要か考える手間が省けました。
一方で商品やサービスを販売する企業は、多くの人に見てもらえるような広告を大手IT企業へ出稿します。広告料も払います。では広告料に見合ったオススメは我々の手元にどれくらい届くでしょうか?ちょっぴりでしょうか?いいえ、『ガッツリ』ですw
少し話が脱線してしまいましたが、判断をする為に「直感」以外の道具として「検索」を用いましたが、この「検索」は情報を提供する広告主の為に最適化されており、必ずしも自分が正しいと思える選択肢を提供してくれるとは限りません。
未来の技術は既に過去あったもの
「直感」「検索」どれも不確かで信用性も再現性もありません。ここで登場するのが「分析」です(あー長かった💦)。100年前に数学者が証明した定理は、今も覆ることはありません。一部の天才の頭の中にしかなかった世の定理が、演算装置の高速化により私たちにも身近な存在になりました。
もともと「ある画像を1ピクセルごとに分析して、それがなんの物体かどうかを処理」するという考えは50~60年前からありました。しかし目の前の道路を横断する牛の画像の処理に10秒掛かってはいけません。0コンマ数秒で画像の処理ができるようになったので、やっと自動運転の道が開けてきました。未来の技術と言われていた自動運転は、これまであった技術の高速化でしかないんです。
まとめ
さて、統計学の簡単な歴史と、私たちが日々「直感」や「検索」で判断していること、そしてこれから判断の道具として「分析」が求められるだろうというお話をしました。私たちの身近なところに統計学が使われています。データは私たちの生活を脅かすものではありません。正しい道具を選択すればより快適でより豊かな生活ができると思います。
それでは次回は「では具体的に何を始めるのか」についてお話いたします。